田雜先生は以前から非常勤で講義を担当されており、「ジブリ映画の話をする、めっちゃ面白い講座」と評判でした。2025年度より常葉大学 造形学部に専任教員として着任されましたので、改めて田雜先生の核心に迫るべく、お話をお聞きしました。前編は「田雜先生の履歴書」編です。
(2025年度 常葉大学 造形学部 田雜先生 × 2年生 Iさん・Sさん・Tさん)
インタビュー実施日: 2025年4月23日(水) at 常葉大学 瀬名キャンパス
田雜先生の履歴書
【田雜先生】
よろしくお願いします。名前は田雜芳一と申します。45歳。静岡県静岡出身で、今年から常葉大学造形学部の講師として着任いたしました。よろしくお願いします。
【Iさん】
専任講師に着任する前から常葉大学でも非常勤講師をされていて、その他に職業というか、常葉での講師以外にされていることはありましたか?
【田雜先生】
同じ教育関係では静岡大学 情報学部というところで授業をしていました。今も授業を持っています。あと本職っていう言い方がいいのか、今は教育をしているわけですけど、ずっと本を作っていたんですよ。有名どころだと、本の表紙を作る仕事とか、表紙の絵を描いたりとか、挿絵を描いたりとか、本そのものを作ったりとか、そういうことをやってきました。ジャンルは文芸で、本屋さんに売っている小説とかですよ。ああいうのをやっていました。やっていましたというか、今もやってますね。
【Tさん】
なぜ本の表紙などをデザインするようになったのですか?
【田雜先生】
これ漫画みたいな話で、僕は大阪芸大 映像学科ってところで映画をやっていたんですよ。映画をやっていて、そこで制作していた作品のポートフォリオっぽいのを持っていたわけです。で、そのポートフォリオをですね、僕の大学の先生が気に入って、持っていてくれて。で、それが入ったカバンごと出版社に忘れてきまして(笑)。それを編集者が見たのです。昔のポートフォリオって連絡先が書いてあって。そうしたら編集者から電話がかかってきたのです、「なんか良くない?」みたいな。で「何かやってみない?」みたいな話になって。という感じで出版の仕事をするようになったんです。
その後、柴崎友香さんという小説家の方がいらっしゃいますけど、その方と一緒に作品を作らないかって話になって。柴崎さんはその時点でもう大変ご活躍で、後に芥川賞も取られます。そういう方と一緒にやるチャンスが初期にあったりとか。多少ですけど、作品は坂本龍一さんが褒めてくれることがあったり。
そういうところから、ちょっとずついろんなことを信頼してもらったり、1個作ったらそれでまた声かけてくれる人がいて。そんな感じでここまで来ました。そんな感じで、今ここにいます。
映画を学ぼうと思った経緯
【Sさん】
もともと大阪の大学で映画を学んでいたとのことですが、映画を仕事にしたいと思っていらっしゃたのですか?
【田雜先生】
これ、いい質問です(笑)。
映画を学びに行ったのは、もちろん映画が好きなのですけど、映画を撮りたいから行っただけじゃなくて。僕一応芸術分野の仕事したかったのだけど、芸術分野の仕事をするのに芸術を学ぼうと思ったのですよ、結構真面目に。思ったのだけど、ここでいくつか選択肢があるわけですよ。僕ね、自分で言うのも何ですけど、絵がまあまあ上手いんですよ(笑)。まあまあお絵描きは上手だったのですけど、いろんな専門家がいる前で言うのもお恥ずかしいんですけど、絵がまあまあ上手で。それで、上手なんだけど…。
美術の世界にゴリッと入っていくと、ど真ん中に西洋美術史があるじゃないですか。最高権威として。というか、あれ以外に歴史がないわけですよ。いやいや、いろんな歴史があるんですよ。西洋美術史以外にも、日本でちゃんと作っているとか、そういうのも全部大事なのだけど、なんだかんだで権威は西洋美術だった。いろんなものを見ていると、日本の自国に権威のあるものってあんまりないですよ。
そこでですね、映画っていうのは、日本に映画史の正史があるのですよ。映画史の正史って3つあるんです。1つはいわゆるヨーロッパ映画史。フランス起源のヨーロッパ映画史。で、あとはアメリカの映画史。これわかるよね、ハリウッド中心。あと日本映画史。なぜかっていうと、映画用のフィルムを作れたメーカーがどこにあったかって話です。
映画も今はデジタルで撮っています。でも、フィルムで撮るっていうことが、一応お決まりになっている。「35ミリフォーマットで撮った映像作品」で「1週間映画館で放映されたもの」を映画として認めるみたいなのが、アメリカのアカデミー協会で映画の定義であったり。とにかくフィルムで撮ったものじゃないと「映画」にならないわけですよ。そもそも昔ビデオなかったし。そうすると、映像用フィルムを作れるメーカーって、とにかく世界に3つしかない。そのフィルム感材っていうのを使って、商品を売るためだったり、技術開発するためだったり、そのショーケースとして映画っていうのができたたんです。そこに歴史が生まれていったんです。日本と西ヨーロッパとアメリカに歴史が生まれて。だから日本映画っていうのは、あんまり規模は大きくないけど、むちゃくちゃ歴史があって、映画の正当な歴史の上にある。
僕が大学行った時代、芸術大学で映画を学べるところって、僕の母校と日大 芸術学部しかなかった。なので、このどっちかに行けば、とりあえず芸術やっていることでの勝手なコンプレックス…、「なんか俺よりもっとすごいことを学んでる奴がいる」とか、変なコンプレックス持たないで済む。と思って行きました。
映像じゃなくて映画をやっていたので、そこには美術もあれば、文学の要素もあれば、音楽の要素もあれば、演劇の要素もあるし。映画ってできて130年経ってないから、もう古典になりつつあるけど、比較的新しい芸術様式。そこにこれまでの人類の歴史で積み上げてきたものをひととおり持っている。だからそれを全部一緒くたに学べるっていうのはいいし、絵単体じゃなくて複数の絵と物語だったり、絵と様々な要素だったり。そういうのをガッチャンコさせて、どういう表現ができるかをやりたいって明確に高校時代から思っていたんですよね。だから映画は自分のこれからやりたい表現の基礎を学ぶには非常に良いだろうということで、映像学科に進学して映画を学びました。
『アオイホノオ』の世界は本当だった?
【矢部】
私の勝手な大阪芸大のイメージですけど、庵野秀明さん(エヴァンゲリオンの監督)とか、そういう人たちが伝説のように存在するっていうイメージなのですけど、どんな感じですか?
【田雜先生】
どんな感じなんですかね…。脚色はされていると思うけど、島本和彦先生の『アオイホノオ』の世界が結構リアルであるような感じがしました。まあまあキツイところです(笑)。でも面白かったです。僕、大学めちゃくちゃ面白かったです。
【矢部】
たぶん間違った印象なのですが、当時の大阪芸大は「卒業するやつが負け組」みたいな。
【田雜先生】
それは僕らのころもありました
【矢部】
作家とかでデビューして、学校を辞めていく。それが真の勝者みたいな。
【田雜先生】
大学を卒業する人は基本的に負け犬みたいな。
【矢部】
出てください。みなさんは卒業してください(笑)
【Sさん】
大学を終える前に活躍した人が勝ち組みたいな?
【田雜先生】
そういう空気はありました。
【Iさん】
実際はどれくらい?卒業する割合というか。
【田雜先生】
ここでこれ言っていいか分からないけど…。僕の大学の就職率って多分10%台でしたよ。
(※ 田雜先生の時代の、田雜先生の個人的なイメージです)
【学生さんたち】
えぇ…(一同絶句)。
【田雜先生】
なんかああいうのは全部負けなんです(笑)。今でもあるのかはわからないですよ。それがハッピーかどうかもわからないです。とりあえず本当におすすめできない。しない(笑)。ただ、非常に何かを作りたいとは思っていましたし、今でも思っています。
(5/21公開の中編につづきます)
